昨日読んだ著書、「ひらめき脳」の最後に、「serendipity」=「思わぬ幸運に偶然出会う能力」が取り上げられていた。
「歴史上に残る発見」というと、論理をとことん追及した結果得られたものだと思いがちだ。
だが実際にはそういうものは例外的で、科学史上のほとんどの発見に「serendipity」と呼べるような偶然があったようだ。
偶然というと自分ではコントロールしようもなく、結局はなるようにしかならないのかと思いがちだ。
しかし、結局は運なのだと投げやりになって何もしないでいては「運」はつかめないというのが私の考えだ。
しっかりと準備してアンテナを張っておかなければ幸運に気づかずに見逃してしまうし、そもそも運任せで何もしなければ幸運がやってくることもない。
例えば誰かが自分の人生に多大な影響を与えてくれるような本を紹介してくれたり、任された仕事が大きなチャンスを含んでいたりと、結局のところ「運」は周囲の人に運ばれてやってくることが多い。
だからこそ普段から魅力的で、その魅力という「引力」にひきつけられて周囲の人が寄ってくるような人は、同時に「運」も引き寄せているのだと思う。
著者も「serendipity」をコントロールすることはできないが、そのような幸運と出会うために普段から心がけることはできると述べている。
また、以前紹介した梅田望夫さんの著書「ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか」においても、同様の趣旨のことが以下のように記してあった。
英語で「in the right place at the right time」という言葉がある。
「正しいときに正しい場所にいる」。このなんとも不可思議な言葉の重要性を、私はシリコンバレーで学んだ。
人生のすべてがこの言葉にあるとまで思う。
生まれつきの大天才は別として、ほとんどの人は偶然や運やめぐり合いによって、人生が大きく展開していく。
私たちは、無意識のうちにさまざまな選択をしながら日々行動しているわけだが、その選択・行動パターンによって、運や偶然をつかむ人とそうでない人がいる。
その人が磨いてきた能力に加えて「正しいときに正しい場所にいる」ことが重要で、それは突き詰めていえば、誰かの心に印象を残し、大切なときにその誰かから誘われる力なのである。
「天才とは、一パーセントのひらめきと九十九パーセントの努力のたまものである」というエジソンの有名な言葉があるが、これは「serendipity」に出会い、それを生かす道筋におけるさまざまな要素の割合のことを言っているのだそうだ。
「九十九パーセントの努力」は日ごろの地道な努力や、「serendipity」に出会った後にそれを実現するステップのことであり、「一パーセントのひらめき」は「serendipity」に出会い、それに気づくこと。
「人生の目的が見つからないから何もしない」というような人は、ずっとそのままなのだ。