上田紀行さんの『生きる意味』を読みました。
本書はオススメしません。普通何かを主張したり提言したりするときは、
1.現状の把握(何が起こっているのかなど)
2.現状に対する解釈(それは何が原因なのか、どういう問題があるのかなど)
3.解決策(では、どうすればいいのか)
という流れで構成されます。ロジカルシンキング本でしばしば登場する、「雲・雨・傘」も、同じですね。
本書で述べられている現状に対する解釈や解決策にも言いたいことはたくさんあるのですが、何より致命的なのが現状把握のいいかげんさです。
若者の凶悪犯罪については、もうたくさんありすぎて、そのひとつひとつを思い出すことができないほどだ。(中略)信じがたい事件が連続している。
と、社会の問題で若者による凶悪犯罪が顕著になったかのように書かれていますが、それはマスコミによって作られたイメージであって、実際には若者による凶悪犯罪の件数はむしろ減少傾向にあること(データで実証済み)を著者は知らないのでしょうか?
数字にこだわることで、生命力が奪われる。(中略)年収が上がれば本当にそれだけ豊かになるのだろうか。と考えれば、私達は既に「過労死」といった言葉をすぐに連想できる。
とありますが、本当に過労死するまで働かざるを得なかった人たちは、少しでも年収を上げようとこだわったためにそういう状況に陥ったのでしょうか?であるならば本人の意思で長時間労働を続けていたことになりますが、本当は職場からの圧力によって長時間労働を強いられていたのではないのでしょうか。「年収が上がれば人生も豊かになるという誤った価値観が過労死を招いた」というのは問題を著者の主張にとって都合のいいようにすりかえているように聞こえます。
「先生、ぼくが何をやりたいのか、教えてください」という大学生を笑えない状況がそこにはある。
四〇代半ばの私は、多くの部下を持つ社長で、とてつもない年収を手に入れ、豪邸に帰れば美人の妻と、お嬢様学校に通うかわいい子どもたちに囲まれ、ときどきは若さに溢れた愛人との密会も楽しみ、週末はヨット、ゴルフ、そして年に何回も海外旅行、誰からも四〇代に見えないほど若いと言われ、老後の心配もなく、充実した毎日を過ごしている・・・・・・。
お前はバカか?と言いたくなるが、「思い通りの人生」と言われたときに、こういった人生を思い描く人は少なくない。
本当にそんな人がたくさんいるんですか?ここまで来るとさすがにひどいと思います。「私の好きなことを教えてください」とか、たまたまこの著者の周りに一人か二人いた人をもってして、同じような人が実際にどれほど存在しているのかをろくに調査もせず、さもそれが日本の抱える大問題かのように論じるのはどうなんでしょうか。
そもそもの現状把握の部分でろくにフィールドワークがなされておらず、著者の思い込みがたぶんに含まれているため、その後の解釈や解決策もあまり読めたものではありません。また、本書にはしきりに「生きる意味」という言葉が登場しますが、「人にはかけがえのない生きる意味がある」と主張はしているものの、結局それは何なのか本書にはちっとも書かれていません。
そもそも「生きる意味」なんてあるんですか?
私たちがいま直面しているのは「生きる意味の不況」である。
自分がいまここに生きている意味が分からない。自分など別にいなくてもいいのではないか。自分が自分でなくてもいいのではないか。
生きる意味が見つからないことがとにかく問題視されていますが、私は問題は生きる意味の有無ではなく、別のところにあると思います。結局生きている意味がわからないと嘆いている人は、生きることに喜びを見出せていないか、生きているのがつらいと感じている人たちなのです。
勉強と同じです。やっていてもつまらないこと、やりたくないことをやっていると、「何でこんなことやっているんだろう。これをやる意味ってあるのだろうか?」と人は意味について考え出すのです。やっていて楽しいことだったら、意味が見出せようが見出せまいが、気にせず夢中になってやっているはずです。
問題なのは生きる意味が見つからないことではなく、それが見つからないならばこれ以上生きていても仕方がないと思うくらい、生きているのが苦痛であるつらい現状なのです。生きる意味が見つからないからつらいのではないのです。つらいから生きる意味を見つけたがっているのです。