超訳 ニーチェの言葉 | |
白取 春彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン 2010-01-12 おすすめ平均 |
『超訳 ニーチェの言葉』を読みました。本書は19世紀のドイツの哲学者、ニーチェの思想を彼の著作物の中から引用して紹介したものです。自分で物事を考え抜いた人の言葉はやはり味わい深く、いくつか気に入るものがありました。
自分自身を見つけたい人に
これまで自分が真実に愛したものは何であったか?自分の魂を高みに上げたものが何であったか?何が自分の心を満たし喜ばせたか?これまでにどういうものに自分は夢中になったか?これらの問いに答えたとき、自分の本質が明らかになるだろう。それがあなた自身だ。
「自分はいったい何ものなのか?」、これまでに愛したもの、夢中になったものにその答えがある。とはいえ、そういった経験がパッと思い浮かばない場合はどうすればいいのでしょうか。
実は人は、その物から何かを汲み出しているのではなく、自分の中から汲み出しているのだ。その物に触発されて、自分の中で応じるものを自分で見出しているのだ。
つまり、豊かな物を探すことではなく、自分を豊かにすること。これこそが自分の能力を高める最高の方法であり、人生を豊かに生きていくことなのだ。
何かに触れたとき自分が何をどれだけ見出せるかは、自分自身の内面の豊かさによって決まる。つまり汲み出す元である自分自身が豊かでなければ、同じ経験をしていても愛情を感じる場合もあればそれに気づかない場合もある。いろいろなものを経験し、自分の頭で考察してみる、そういった活動を通して自分を豊かにしていかなければ、自分の中から汲み出せないのです。だから安易な自己分析、自分探しは往々にしてうまくいかないのでしょうね。
楽しんで学ぶ
たとえば、外国語を学んでまだ少ししか話せない人は、すでに外国語に通じて流暢な人よりも、外国語を話す機会をとてもうれしがるものだ。
こういうふうに楽しみというものは、いつも半可通の人の手にある。
楽しみはいつも半可通の人の手にある。そして楽しんでいるからこそ人は何かに真剣になって取り組み、成長できるのだと思います。学び続けるには、常に出来ないことに挑戦することなんでしょう。
自分しか証人のいない試練
自分を試練にかけよう。人知れず、自分しか証人のいない試練に。たとえば、誰の目のないところでも正直に生きる。たとえば、独りの場合でも行儀よくふるまう。たとえば、自分自身に対してさえ、一片の嘘もつかない。そして多くの試練に打ち勝ったとき、自分で自分を見直し、自分が気高い存在であることがわかったとき、人は本物の自尊心を持つことができる。このことは、強力な自信を与えてくれる。それが自分への褒美となるのだ。
ばれなければいいと人目につかないところで自分の心に反することをしていると、たとえ他の人が見ていなくても自分自身がそれを目撃しているので、自分に対して自信がもてなくなります。とはいえ余りにも自分に厳しい試練を課し続けていては、心が疲弊してしまいます。深みも大切ですが、いつもそれでは大変なので、普段は多少軽く振舞うくらいがちょうどいいと感じます。
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白取 春彦
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