かけがえのない人間 (講談社現代新書) | |
講談社 2008-03-19 売り上げランキング : 48043 おすすめ平均 |
上田紀行さんの『かけがえのない人間』を読みました。
愛の需要と供給
現代の日本では「自分はかけがえのない存在なのだ」という実感を持てない人が増えており、そのため多くの人が「自分をかけがえのない存在として扱ってほしい」「愛してほしい」と切望している。しかし皆が「愛されること」を望んでいる社会には肝心の「愛する人」が不足し、需要と供給のバランスが崩れ、結果人々が満たされない。むしろ自分自身のかけがえのなさは「愛されること」よりも「愛すること」によって生まれるものであり、愛することで自分の「かけがえのなさ」に気づいて行くのである。と、私は本書をまとめました。
実に簡単な話ですね。極論で、「自分を必要として欲しい」「愛してほしい」と誰もが切望する時代ならば、「あなたが必要だよ」「あなたを愛しているよ」と言ってくれる(そう感じさせてくれる)人が重宝されて当たり前です。だから結果的に、誰かを愛せる人が、逆に必要とされ、愛されるわけですね。上記のことを、本書では「かけがえのなさ」をテーマに書き綴っているのですが、しかしそこに「かけがえのなさ」という要素が何故そこまで必要なのか、本書からはあまり伝わってきませんでした。
私自身が今まで自分自身に対して、「自分はかけがえのない存在なのだろうか?」「自分は交換可能なんじゃないだろうか?」と自問したことがないからかもしれませんが。また、「人は愛することで自分のかけがえのなさに気付いていく。だから愛されるよりも愛する人になろう」と本書は結論付けています。しかし、「もっと愛してほしい」「もっと必要として欲しい」と欲しているような人は、偏見かもしれませんが、愛された経験がないか、愛されていると実感できていないかのどちらかに属するのではないかと思います。
そういう人は、愛するということがどういうことなのか、どう愛すればいいのか、わからないのではないでしょうか。「人がもっと愛するようになれば、愛が周囲に供給され、より豊かな社会になる」というのは素敵かもしれませんが、具体性に欠けると私は感じました。
自己責任の是非
不況の時代に就職時期を迎えたという、自分の責任ではない事情でこれだけの格差がついたり、人生設計もできないような状況になっているのに、そしてそれに対して改善がもたらされないのに、どうして怒りの声が起きないのか。彼らの回答は、「でも同世代で成功している人もいるわけだから、今の境遇は自分の責任だと思ってしまう」というものでした。しかしそれはまさに「自己責任」ということばのまやかしにはまりきっています。
自己責任論の話になるとよくこういう勘違いがでてきますが、自己責任とは、不況の時期に就職活動を迎えたことを自分のせいにすることではなく、それによって人生設計ができなくなっても「自己責任だから」とあきらめ状況を受け入れることでもないのです。不況というのは就職しにくくなっている理由の一つに過ぎず、他にもいろいろ要因はあるはずです。不況について自分ひとりの力ではどうこうできませんが、そのほかに自分の力で改善できることはたくさんあります。
自分の力ではどうしようもないことで嘆くのではなく、自分が変えられることにフォーカスする、自分ができることに対して責任を持つ、そこから事態を好転させていく、それが何でも自分の責任だと捉えるという考え方なのです。課題や問題に直面した時に、「景気が悪い」「会社が悪い」「あいつが悪い」と周囲にばかり原因を求めていては何も解決できませんが、「自分が何をすればこの問題は解決するのか?」「自分がどうしていれば会社は悪くならなかったのか?」という視点で考えれば、解決の糸口が見つかるかもしれません。そういう人が物事を「より良く」していくのです。
人のせいにばかりしている人、自分の不幸を嘆いてばかりいる人には何も解決できません。自分がかけがえのない存在だと思いたいならば、社会のせいにして怒りをぶつけていてもダメでしょう。自分の力で乗り越えなければ、自分を信じることなんてできませんよ。
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