愛するということ | |
鈴木 晶
紀伊國屋書店 1991-03 おすすめ平均 |
エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読みました。
普段はビジネス系のものを読むことが多いですが、今回読んだのは「愛」について考察した哲学的な一冊です。
本書を読んで私は、愛とは自分を信じ、他人を信じ、人類を信じることの出来る勇気なのだと感じました。
愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである。
ところがほとんどの人は、愛を成り立たせるのは対象であって、能力ではないと思い込んでいる。
愛が活動であり、魂の力であることを理解していないために、正しい対象を見つけさえすれば、後はひとりでにうまくゆくと信じているのだ。
愛を成り立たせるのは対象である、これはどういうことかというと、愛を感じさせるような対象が目の前に現れれば自然と愛は生まれるのだという考え方です。
しかし本書ではこれに反対の立場を取ります。
愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。
つまり愛とは愛するに値する対象がいて初めて生まれるものではなく、なんの保証もなしに自分から進んで発揮するものだとしているのです。
親が子どもを愛するとき、それは子どもが親の愛情を受けるに値するから愛を受けるのではなく、親がなんの保証もなしにその子を、そしてその子の持つ可能性を信じているのです。
他人を「信じる」ことのもう一つの意味は、他人の可能性を「信じる」ことである。
他人を「信じる」ということをつきつめていけば、人類を「信じる」ということになる。
親が無条件に我が子を善であると信じるのが愛であるならば、その無条件の信頼を人類にまで広げて与えられることもまた愛なのです。
確かに世の中には身を背けたくなるもの、悪が多く存在しています。
しかしそれでも人類の可能性を信じ、より良い未来をともに築き上げていけるはずだと信じること。
裏切られないという保証がなくても、苦痛や失望をも受け入れて、自分が信じる価値にすべてを賭けること。
この勇気こそが愛なのです。
そしてこの勇気を支えるのは信念、つまり自分を信じる力です。
自分自身を「信じている」者だけが、他人に対して誠実になれる。なぜなら、自分に信念を持っている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、したがって自分が予想しているとおりに感じ、行動するだろう」という確信をもてるからだ。自分自身にたいする信念は、他人にたいして約束ができるための必須条件である。
自分の考えや価値観を信じていなければ、つまり他人や人類を信じようとする自分自身をまず信じることができなければ、他人や人類を信じて愛することなどできないのです。
権威や多数の人々の言っていることではなく、自分自身の思考や感情の経験にもとづいた確信がなければ、他人を、そして人類を信じて行動することなどできないのです。
自分を信じ、他人を信じ、人類を信じて身を委ねる勇気とその勇気を支える信念をもって、他人にそして人類全体に接することの出来る人、そういう人こそが愛のある人なのだと私は感じました。
そして私も人類の持つ可能性を信じて、ともにより良い未来を創りあげられるように働きかける人でありたいと思いました。
愛するということ | |
鈴木 晶
紀伊國屋書店 1991-03 おすすめ平均 |