マキャヴェッリの『君主論』を読んだ。
時代は異なるが、それでも面白い洞察がいくつかあった。
例えば、
単に幸運に恵まれたため私人から君主になった者は、君主になるにあたってはほとんど労苦を必要としない反面、それを維持するに際しては多くの困難に遭遇する。
(中略)
このような人々は単にそれを与えてくれた人の意志と幸運とに依拠しているが、人間の意志と幸運は双方とも非常に変わり易く、安定しないものである。
ここで留意すべきは、ある領土を得る場合、占領者は行う必要のあるすべての加害行為を検討し、それを毎日繰り返す必要がないよう一気に断行すべきであること、そしてそれを繰り返さないことによって人々を安心させ、人々に恩威を施して人心を得ることができるようにすべきであるということである。これに対して臆病のためか誤った見解に従ってこのように行動しない者は、常に手に剣を携えていなければならない破目に陥り、臣民は新たに間断なく行われる加害行為のため彼に対して安全を確保できず、当然君主もその臣民を決して信用しえないことになる。
という二つの記述がある。
これを組みあわせるとどうだろう。
例えば内部昇格で45歳くらいの人を社長に昇格させる場合、それ以前には彼の上司であった人が今度は部下になるという状況ができ、好ましくない。
出し抜かれたと感じた幹部が、社長の言うことを聞かないということも起こりえる。
これで企業を混乱させるくらいならば、社長は社長就任と共にある加害行為を断行せねばならなくなる。
つまり、以前の上司は全員首にするわけだ。
しかもそれをじわりじわりとやっていたのでは、次は自分ではないかと言う不安で他の社員にも影響が出るから、一気に断行しなければならない。
そして一連の加害行為が終わり敵を排除した暁には、残りの社員に誠心誠意を尽くし、以後は自分の足場をより固めていくことになる。
なんとも非常なやり方ではあるが、逆にこの難しさゆえ、外部からCEOを雇うほうが成功しやすいのかもしれない。
過去のしがらみにとらわれない分、よそ者のほうがより客観的な立場から必要な処置を施せるのだろう。
君主論 (講談社学術文庫) | |
佐々木 毅
講談社 2004-12-11 おすすめ平均 |