ジェームズ・スロウィッキーさんの著書、「「みんなの意見」は案外正しい」を読んだ。
インターネットの登場、そしてWikipedia、Linuxの普及、成功により、今みんなの意見が「群集の叡智」として注目され、見直されている。
一人のCEOや、数人の幹部だけによる意思決定が限界を露呈した事例は多くあり、本書にもいくつか紹介されている。
しかし、だからといってみんなに幅広く意見を求めればうまくいくかというと、そんな単純な問題でもない。
正しい状況下では、集団はきわめて優れた知力を発揮するし、それは往々にして集団の中でいちばん優秀な個人の知力よりも優れている。
問題は、いかにこの「正しい状況」を組織の中でマネジメントするかである。
本書ではその要件を、意見の多様性、独自性、分散性、集約性としている。
なぜみんなの意見が一人の優秀な個人の意見よりも優れているかというと、その理由は多様性にあるのだろう。
一人の意見には長所も短所もあるが、多様な意見にもまれる過程で短所だけが削り落とされ、長所だけが残れば、人の数だけ最終的な意見も優れたものになる。
しかし問題なのは、必ずしも短所だけが削り落とされるわけではなく、往々にして長所までも削り落とされてしまうことだ。
例えば株でのバブルなどというのは、その典型だろう。
みんなが株を購入しているからそこには根拠があるのだろうと考えてしまうのだ。
また、集団の中で発言力や影響力の強い人がいると、「あの人が言うからそうなのだろう」と、集団が流されてしまう場合もある。
つまり、みんなに意見を出してもらう段階で、人に影響されていない「独自性」を保った状態で意見が出てこなければそれは「衆愚」になりかねないのだ。
しかし、多様な意見が集まればそれでいいというわけではない。
それをうまく集約し、一つの意思決定に結び付けなければならないのだ。
その集約の過程にも問題が潜んでいる。
ここでも発言力や影響力のある人の意見が集団に対して影響力を持ってしまうと、異なる意見や少数派の意見がろくに取り入れられない可能性がある。
せっかく多様な意見を集めても、結局影響力のある一人の人の意見がほぼそのままの形で採用されたとなれば、それは「衆愚」に陥った可能性が高い。
この発言力・影響力のある人物は、企業のトップや幹部など、大きな意思決定権を持っている場合が多い。
であるならば、一部の人が意思決定権を持つ体制から脱却し、民主化=意思決定権の分散化を進めることが一つのヒントなのかもしれない。
現場の個人に意思決定をする権利と共にそれに伴う責任を与えることが、現場の生の情報を吸い上げる一つの方法かもしれない。
Linuxの開発でも、技術力・貢献度の高い人たちが自然とコミュニティ内での存在感を高めはするが、個人の参加は完全に自由であり、主体性が保たれている。
本書はこれらの問題について考える多くの事例が取り扱われているが、あくまで事例集といったものであり、具体的な組織モデルや一つの答を導き出しているわけではない。
そもそも「群集の叡智」自体が近年注目されだしたばかりだ。
しかし、おそらく今後どの企業も、いかに「群集の叡智」を自らに取り込むかを考えなければならなくなるのではないか。
本書の事例に触れて、自分なりに考えてみるのも手だと思う。
「みんなの意見」は案外正しい | |
ジェームズ・スロウィッキー
角川書店 2006-01-31 おすすめ平均 |
2 Comments
>いかに「群集の叡智」を自らに取り込むか
とりあえず、ES(従業員満足度)あたりからシステム化しようかと考えているところです(^^)/
うまく取り込んで、社内・社外マーケティングに活かしたいですね~!
BJさん
本書は梅田望夫さんの『ウェブ時代をゆく』とあわせて読むと、
効果的ですよね。
日本でこれを実践しようとしている企業って、
果たしてどれくらいあるのだろうか…。
ご紹介いただき、ありがとうございました!