渡邉美樹さんの著書、「きみはなぜ働くか。―渡邉美樹が贈る88の言葉」を読んだ。
我々はなぜ働くのか―
それはお金や地位や名誉のためではなく、自分の人間性を高めるためなのだと渡邉美樹さんは言う。
渡邉さんの言わんとしていることも、仕事の報酬は目に見えるものだけではないのだということだと思うが、私は別にお金や地位や名誉を否定するつもりはない。
いずれもあったほうが幸せになれると思うし、もし不幸になったとすれば、それはお金や地位、名誉が悪いのではなく単純にその人自身に問題があるだけだ。
ただ、最近仕事(または人生)に目的をもてない学生が多いと感じるのも事実だ。
志がない。
なぜ働くのかと聴くと「生活のため」と疑う様子もなく言われてしまう。
「生活のため」くらいの目的しかないから、やりたいことがない、どんな会社にいけばいいのかわからないなどと言い出す。
渡邉さんもこのことを、学生の一番の問題だと捉えている。
では、なぜこうなるのか。
自分が主体的に物事を考えてこなかった結果である。自分という存在が、偏差値と言うわけのわからない数字によって、常に振り分けられる人生を歩んでしまったため、自分の力で考える習慣が育たなかったのである。
君たちに今夢がないのは、親の責任である。親に夢がないから、子どもに夢がないのだ。
確かに学校の成績が子どもを画一的に評価するのはおかしい。
学校の目的はペーパーテストでいい点数を取らせることだけではないはずだ。
また、親に夢がない、というのも事実かもしれない(幸い、私の両親には当てはまらない)。
しかし、私はそもそもの原因は、親、もしくは周りの人間が、その子の持つ力を信じてあげなかったことあると思う。
たとえ算数のテストの点が周りの子より低かったとしても、それがなんだというのだろう。
それでその子の未来がなくなると本気で考えているとしたらお笑いだが、問題はそこではなく、「みんなと同じように頑張って勉強していさえすれば、この子の将来は安心だ」と勘違いしていることだろう(塾に通わせるのがいい例だ)。
そんなのは幻想であるばかりか、その子の持つ特性を無視して「型」に無理やりあてはめて、結局子どもを駄目にしてしまうだけである。
ミカンの子どもとして生まれてきた種に、リンゴになれといっているようなものだ。
子どもはリンゴになりたいとは思わない。
しかしリンゴになれなければ教師も親も認めてはくれない。
だから、自分は駄目な子どもなのかと、自信をもてなくなる。
当然、夢なんかもてるはずがない。
「最近の若者は、自分勝手で、自分さえ良ければいいと考えている」とはよく言うが、本当のところは自分に自信がもてないから、他人のことなど考えている余裕がないだけだ。
もう、子どもの自信を奪うのはやめてはどうか。
その子自信の持つ力を「ただ」信じ、励ましてあげさえすれば、彼らがどれだけ勇気付けられるかを考えてほしい。
そしてもう一つ、私は「あたりまえ」という言葉が大嫌いだ。
本書の冒頭に以下のような文章がある。
「ワタミらしいって、どんなことですか?」雑誌のインタビューを受けました。
「誠実に一生懸命生きること」
「自分にうそはつかないこと」
「自分以外の幸せと自分の幸せを重ねること」
「日々の戦いの中で、人として成長していくこと」
「夢を追いかけること」
と、私は答えました。
私はこれを読むだけで、「人とはこうあるべきだ、人生とはこうあるべきだ」という信念を愚直なまでに持って渡邉美樹さんが夢を追い続ける姿を想像するだけで、感動で涙が出てくる。
しかし、その後の、「これは当たり前のことですが、最近はその当たり前のことができなくなっている」という記述には賛同できなかった。
人それぞれ価値観は違う。
自分の我を通すために他人に迷惑をかけるのはまずいが、みんながそうしているからとか、それが常識だから、あたりまえだからと言う理由で、安易に人の真似をしたいとは思わないし、自分の「本当の思い」に反する行動など絶対にしたくない。
最後に、私は渡邉美樹さんが大好きだ。
自分の信念を愚直なまでに貫いて生きている人がいる、それだけで私は、「自分の内なる声に従うこと」に自信がもてる。
以下、自分用のメモ
●夢を追う人は人生を後悔しない
●人を信じて失うことの大きさと、人を信じないで失うことの大きさでは、人を信じて失うことのほうがずっと小さい
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渡邉 美樹
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