姜尚中さんの著書、「悩む力」を読んだ。
近代以前、人々は宗教、伝統、習慣、文化、地縁的血縁的連合などによって、自動的に社会の中でしっかりと結び合わされていた。
何を信じるかは自分で決めるものではなく、所属する共同体が信仰するものを個人も信仰するのが当たり前だった。
その意味で彼らは束縛されていたが、逆に「何を信じるか」を自分で考える必要がなかったという意味では自由だったのかもしれない。
しかし近代科学や合理主義の急速な進展により、これらの結びつきはどんどん解体され、個人の自由をベースにした「個人の時代」がやってきた。
こうして拠り所を失った個人は自我の確立を迫られるようになる。
自分はなぜ生まれたのか、なぜ生きているのか、なぜ生きねばならないのか。
なぜ働くのか、なぜ愛を求めるのか、それらに意味はあるのか。
これらは答えのない問答であり、だからこそずっと私たちに付きまとう悩みとなる。
宗教などを抜きにして、全ての意味を自分で考えようとし、自分に向き合うほどに見えてくるのが、自分の弱さ、愚かさ、無力さだったりする。
時に絶望的にもなる。
考えるのが苦痛になり、周りに合わせたり、スピリチュアルなんてものに頼ることで楽になりたいと考えもする。
しかし、悩みにふたをしたところで、その先には虚無感しかない。
本当はどこかで違和感を感じながらも、自分を騙している「自分」に心の中で気付いているからだ。
だったら悩みぬいて、突き抜けてしまえばいい。
内なる声にふたをせず、突き抜けるまで悩めばいいのだ。
突き抜けたら、後は好きなように、横着に生きていけばいい。
厚かましくてもわがままでもいいから、自分が本当に信じられる自分になる。
そのとき真の充足感が得られるに違いない。
本書を読んでそう思った。
悩む力 (集英社新書 444C) | |
姜 尚中
集英社 2008-05-16 おすすめ平均 |