読書について 他二篇 (岩波文庫) | |
ショウペンハウエル Arthur Schopenhauer
岩波書店 1983-01 おすすめ平均 |
ショウペンハウエルの『読書について 他二篇』は読書、特に多読をしている人には是非読んでほしい一冊です。多読についての危険な一面を鋭くついており、ハッとさせられます。
危険な一面とはずばり借り物の知識に満足し、評論家になってしまうことです。
読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。(中略)常にまとまった思想を自分で生み出そうとする思索にとって、これほど有害なものはない。
知識は大きく分けると形式知と暗黙知の2つがありますが、読書で得られるのは実は形式知だけなのです。形式知とは言い換えれば本の中身のように文書化できる知識、それに対して暗黙知とは、文書や言葉にできないノウハウのことです。例えば子どもがいくら自転車の乗り方について本で勉強して形式知を身につけても、それだけでは乗れるようにならないのは明白です。実際に何度も失敗しながら運転して初めて、暗黙知である感覚が身に付くのです。
読書もこれと一緒で、いくら本を通して形式知を身につけても、それはそのままでは実践で使えない、加工できない、応用もできない、借り物の知識に過ぎません。形式知を得たら実際に自分で使ってみて、フィードバックを分析し、どうすればもっとうまくできるのか仮説を立てて、再び実行してみる、ということを繰り返して暗黙知化しなければ、それは本当に使える知識にはならないのです。多読の怖いところは、形式知を得ただけで満足してしまい、自分で使ってみることと、自分の頭で考えてみることを忘れてしまうことにあります。それではただの批評家なのです。
自ら思索する者は自説をまず立て、後に初めてそれを保証する他人の権威ある説を学び、自説の強化に役立てるにすぎない。ところが書籍哲学者は他人の権威ある説から出発し、他人の諸説を本の中から読み拾って一つの体系を作る。
すなわち精神が代用品になれて事柄そのものの忘却に陥るのを防ぎ、すでに他人の踏み固めた道になれきって、その思索の後を追うあまり、自らの思索の道から遠ざかるのを防ぐためには、多読を慎むべきである。かりにも読書のために、現実の世界に対する注視を避けるようなことがあってはならない。
本書をよく読めばわかるのですが、本書は必ずしも多読を否定しているわけではありません。むしろ自分の頭で思索する人にとっても、多量の知識が思索の材料として必要なため、積極的に本を読むべきだとしています。大切なのは本を読んで得た知識で満足せず、自分で使えるようになるまで実践することです。
借り物の知識で批評家にならず、現場で結果を出せる実行者になることです。
体系化された形式知を学べる読書は確かに効率の良い学習ツールですが、本を読むのに費やしたよりももっと多くの時間を暗黙知の習得に費やさなければ、読書は無駄な労力に終わってしまうのです。効果の怪しいノウハウを語る自称コンサルタントになりたいのであればそれでもいいでしょうが、読書を実際の成果につなげたいのであれば、借り物の知識だけでは意味がないことを肝に銘じなければなりません。一日に何冊も本を読むことを自慢している暇があったら、結果で示しましょう。
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ショウペンハウエル Arthur Schopenhauer
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