未来を変えるためにほんとうに必要なこと――最善の道を見出す技術 | |
アダム・カヘン Adam Kahane 由佐 美加子
英治出版 2010-04-20 |
問題を解決するために私たちに必要なものは何だと思いますか?論理思考力?実行力?思いやる力?共感力?これまでの経験から私がひとつ学んだのが、力なき愛に人は救えないということです。どんなに思いやりがあっても、どんなに愛情があっても、自分に力がなければ、解決力がなければ、影響力がなければ、問題を解決することはできませんし、誰かを助けることもできません。
1.愛情だけだとどうなるか?
力なき愛は実際に感傷的で実行力に乏しい。人間の相互依存性を認識し、社会集団を統一しようとするのはいいが、自分自身や他者の成長を妨げるような方法でそうすれば、何の変化も生まないだけでなく、最悪の場合、かえって現状を強化することにもなりかねない。
力なき愛の典型例は、日和見主義でしょう。”やさしい”人達がお互いを傷つけないよう、争いを生まないよう、立場を尊重しながら、グループの協調性を優先する。しかしそんな馴れ合いでは何も解決することはできません。
日本には日和見主義者が多すぎます。個人攻撃することを極端にさけ、問題の原因について話さずに、「意識を高めよう!」「全員で頑張る空気をつくろう!」「盛り上げよう!」といった誰も傷つくことのない精神論による、表層的な活動ばかりしています。問題にはいつだって原因があり、ほとんどの場合においてそれが特定の個人に起因することはなく、個人がそういう行動を取らざるを得なくなっている「システム」に間違いがあるのです。
誰のどんな行動によってその問題は引き起こされているのか。その人がそういう行動をとってしまうのは、何が原因なのか。それを明らかにし、システムを改善していかなければ、問題解決なんてできません。
2.意見を言わない人も同罪
また、上記のような集団の中で意見を言わない人も同罪です。全体の論調が精神論に終始している中、「それでは解決しないのではないか?」「もっと本当の原因についてはなすべきではないだろうか?」と頭の中で考えているだけで、口に出して言わない。もしくは口に出して言っている人に対して表立って賛同せず、中立の立場を守っている。これは中立の立場を守っているのではなく、力の強い方に加担しているのです。
力のある者と力のない者の争いから手を引くということは、力のある者の味方をするということであり、中立ではない
自分の身の安全ばかりを考えて、争いから一歩引いたところで押し黙っている人ほど迷惑な存在もありません。意見を言わないということは長いものに巻かれるということであり、「私は強いものの味方です」と言っているのと同じなのです。「意見がない」という人も同じです。自分の頭で是非を考えぬくことを放棄して「誰々さんがいう意見が正しいと思います」といっているに過ぎません。
心配性でリスクを避けるだけの人、進歩よりも和気あいあいを大切にする人、人生をコンセンサスを軸に決定する人。こういう、やさしい”だけ”で戦えない「ことなかれ主義者」に、未来を変えることはできません。
当然、愛なき力も問題があります。お互いの正しさを尊重することができなければ、一方が他方に対して「正義を強制する」ことになります。宗教戦争はその典型例でしょう。しかし、私は日本人に圧倒的に欠けているのは”力”だと思います。少なくとも、自分がどちらの立場なのかを自覚するくらいの責任は負ってほしいものです。
未来を変えるためにほんとうに必要なこと――最善の道を見出す技術 | |
アダム・カヘン Adam Kahane 由佐 美加子
英治出版 2010-04-20 |